電子メモパッド「HOMESTEC 電子パッド【改良品】」の使用感レビュー

 

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サイズ感

12インチは、B5の紙と同じくらいのサイズです。ノートPCをモニターディスプレイに寄せて、空いたスペースにちょうど収まるくらい。求めていたサイズ感だったので満足です。

 

使用感

ペンをメモ板においた瞬間から文字が浮き出て、動かせばそのままなめらかな線が描けます。普段ボールペンを握る感覚で書くとやや太めの文字になります。力を入れず習字の時の感覚で書くと、細めの文字が書けます。メモ板が12インチの大きさなので、太めの文字であってもそれ程気になりません。

 

満足度


わたしはロジカルシンキング用に本商品を買っており、書いては消して、書いては消してを繰り返すだけに使ってるので概ね満足です。ただ 、チョップの時に使う手の部分がメモ板にあたると、その部分に滲んで塗りつぶしたような文字が写ってしまいます。これは、メモ板に圧力がかかったときに文字を浮き上がらせて画面表示させる仕組みの商品なので、この点は仕方ないかと思います。もちろん、板に当たった部分がすべて残る訳ではないです(体感的には、当たった部分の5%くらい)。このあたりは、電子メモパッドの使い方に慣れたら改善できそうと思ってます。

 

重さ


軽いです。人さし指と親指でつまんでも簡単に持ち上がります。145gとのことです。

 

その他


ペンは、メモ板にくっつける所があるので無くす心配は無いです。最初にペンを引っ張り出した時は、「ボンドか何かで固定されてるのか?」と思いましたが、めちゃくちゃカッチリハマっているだけでした。ペン掴んで、横にスライドして引き抜くようにすると取れます。折れたりしないので、安心して引き抜いてください。

 

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『解像度を上げる』は、言語化の重要性を説いた本

世は言語化至上主義時代に突入。とにもかくにも言語化言語化を制するものが、仕事を制し、人生を模制するのだ、と言わんばかりの昨今である。

たしかに実感として言語化能力が高い人物は、ビジネスにおいて大きな成果を出しているように思う。

前職の上司は言語化が上手かった。今ほしい言葉を今ほしいタイミングで言ってくれるのだ。私が仕事でミスをした時は、「どんどん失敗しなさい」と言ってくれたし、私が成果を上げた時には「そりゃ、あれだけ成果を上げるために行動してたんだから、自ずと成果が出るのは分かってたよ。でもおめでとう」。

言語化能力が高い人から貰う言葉は、腑に落ちる度合いが違う。なんの違和感なく受け入れられる。もちろん上司の言葉に納得感があったのはそれ以外の要因もあるだろうが、少なくとも自分は上司のことを言語化が上手い人と感じていた。尊敬の念を抱いていたようにも思う。

本書『解像度を上げる』を読んだところ、上記のような事例は言語化の一部分に過ぎないとわかった。

つまり、上司は私に対する解像度が高かったのだ。

本書では「解像度」という言葉を、以下のように説明している。

解像度が高いとはどういうことか、もう少し詳しく見ていきましょう。「健康になりたい」という人にアドバイスする場合を例にとって考えてみます。様々な選択肢が思い浮かびます。食事制限かもしれませんし、運動かもしれません。すでに病気にかかっていれば、治療が必要かもしれません。「健康になりたい」というのはあまりにも漠然とした要望のため、答えに窮します。そこでまずはその人に質問をして、現状把握することが必要でしょう。  話しているうちに、どうやらその人の言う「健康になりたい」というのは、「筋肉を付けたい」という要望であり、さらに「上腕二頭筋上腕三頭筋を鍛えたい」ということが分かってきたとします。すると「そのためにはこの筋トレ」「筋トレと一緒にこのプロテインを飲む」「休息を 2日間ちゃんと取る」「最初はこのトレーニングから始めて、 1か月後には発展的なトレーニングを試してみる」「もし1つ選ぶなら、この筋トレをするべき」と提案しやすくなるでしょう。このように相手の持つ課題を、時間軸を考慮に入れながら、深く、広く、構造的に捉えて、その課題に最も効果的な解決策を提供できていることが、解像度が高い状態です。

上司は私に対する解像度が高かったために、わたしの課題をわたし以上に見抜いていた。あとはその課題を本人に伝えるだけ。わたしが持っている課題なのだから、答えもわたしの中にあるのは当然だ。自分の奥底に眠っていた課題と解決策を提示されたので、わたしはすぐに納得してみせた。

本書では解像度を上げるために、4つの観点で考えることを提案している。

  • 深さ
  • 広さ
  • 構造
  • 時間

解像度を上げるためには、課題について深く、広く、構造的に、時間軸をも捉えながら調べて、考える必要がある。その具体的内容やり方を書いているのが本書である。

約500のページ数は面食らう人もいるかと思うが、文章は分かりやすい。具体例も交えて説明がなされるため、イメージもしやすくなっている。

ただ、本書の内容を一気に全て取り入れることはハッキリ言って難しいと思う。なので、著者が言うようにまずは「深さ」を意識することから始めてみようと思う。

「深さ」「広さ」「構造」「時間」は、どれか一つに、集中的に取り組めばよいわけではありません。4つが相互に影響しあって、解像度は上がっていきます。  現場に何度も足を運んで、「深さ」を考えるための情報をたくさん得たとします。しかし一定以上深めていこうとすると、現場で起こっている現象の「構造」を分析する必要が出てきます。物事を多く知っていて、十分な視野の「広さ」を持っている場合でも、どの部分を深めていくかの判断をするときには、「構造」や「時間」の分析が必要になります。一方で「構造」の分析だけをして、情報を綺麗にまとめているだけでは、一定以上の「深さ」や「広さ」には辿り着けません。「深さ」「広さ」「構造」「時間」のどれかが足りずアンバランスだと、解像度は上がらないということです。 こうしたアンバランスの中で最もよくあるのは、深さが足りないパターンです。そこでまずは「深さ」から始めることをおすすめします。

チーズハムカツとかいう最高の食べ物

食べた瞬間に「優勝」と感じた食べ物がある。

チーズハムカツだ。しかも冷凍食品の。

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マルハニチロのチーズハムカツに、心のみならず胃袋までもを鷲掴みにされてる。ホールド力えぐぅ!!

こちらのチーズハムカツ、ハムとチーズの配分が絶妙である。ハムの肉感とチーズの甘じょっぱさが見事融合。その結果、冷めてよし、温めてよし、徳川綱吉(犬将軍)と三方よしの関係を築いている。

驚くことなかれ、なんとこのチーズハムカツ、白米にも合う🍚。

チーズハムカツ2個で白米1合食える。会社に持っていく弁当には、マストで入れておきたいキング・オブ・ギャラクシー冷凍食品なのである。

惜しむらくは、ひと袋に4つしか入っていない点だ。

お弁当に入れる冷凍食品系は、ひと袋に6つ入っているのが相場だが、このチーズハムカツは4つ。

4と6。その間には大きな狭間がある。魔人探偵脳噛ネウロで、電人HALが「1と0の狭間が遠い」と言っていたが、4と6の間も遠い。

しかし、あまりにも美味すぎるので何度も買う。カゴに入れてレジに行く。220円です。いい!いい!ぜ〜んぜんいい!それでお昼ご飯がハッピーになれるならぜ〜ぜんいい!

「後回し」にしない技術を読んで、ブログを再開することにしました

KindleUnlimitedで「後回しにしない技術」という本を読んだ。

グサッときた。

人生でもっとも破壊的な単語は「あとで」だ。人生でもっとも建設的な単語は「いま」だ。つらく不幸な人たちは、「明日やろう」と言い、成功して幸せな人たちは「いまやる」と言う。だから「明日」と「あとで」は負け組の単語であり、「今日」と「いま」は勝ち組の単語だ。

負け組、勝ち組って分け方はあんまり好きじゃないけど、少なくとも自分は「あとで」って言いがち。

これまでの人生経験上、後回しにしてオーマイガーってなったことは数あれど、後回しにして良かったぜ!ってなったことは無いと思う。

物ごとを後回しにしていると、頭のどこかでは後回しにしたことが気になって、結局集中できてない。後回しにした自分が嫌になる。締切は迫る。

はっきり言って、最悪だ。

「じゃあ、後回しにしてないでサッサとやれよ」となると思うけど、人間そんな簡単でもないんだよね。

実は以前に、「さっさとやれ」という系統の仕事術の本を読んだことがある。

・速さは全てを解決する: 『ゼロ秒思考』の仕事術」

・なぜ、あなたの仕事は終わらないのかスピードは最強の武器である

これらの本を読んだ直後は、「やっぱりスピードが大事。つまりすぐやることが良いのだな」と納得したものだ。

しかし現実、すぐやってない。何かと理由をつけて、後回しにする。

そんな時に久々に読んだ「後回しにしない技術」である。あー、そうだよなー、やると決めたらやってった方が良いよなーと読み進めていったところ、下記文章が目に入った。

しようかどうしようか」と迷うときが、やってみるベストタイミングだ。「行こうか行くまいか」と迷うときが、行ってみるベストタイミングだ。

この文章を読んで、とりあえず始めてみようと思い立った。いつもなら「本を最後まで読まなきゃ」と思って、結局やりたいことことを後回しにしてきたんだけど、今回は本を読むのを途中でやめた。

そうした経緯で、はてなブログの管理画面に入って、記事を書いている。

思考や考えをアウトプットする。文章にまとめるというのは、やろうやろうと思ってしていなかったことだ。

きっとこれから先、また挫折したくなる時が来るかもしれない。しかしその時はそのときで自分の考えを振り返って、何をするのか自分に問うていきたいと思う。

ChatGPTを怖がらないで、一緒に遊べばいいやって話

ChatGPTの登場で、やれ今やってる仕事が取られるだの、スキルが無いやつはAIに取って代わられるだなんて話が毎日のように目にする。


実は私も「ひいいぃぃ!AI様に僕の仕事はとられるンだぁ!」と割とビビってたうちの一人。だって、なんかヤバそうじゃんChatGPT。私の本業はWebマーケティングとライティングなんだけど、SEO対策とか記事作成とか普通にこなしてくるじゃん、アイツ。えっ、怖っ。私の仕事取られそう。


というわけで、ChatGPTを使いこなすにはどうすればいいのかって情報収集していたんだけど、ある記事を見て怖がるのをやめた。


【ChatGPTのオナニー指示でイかされた】
https://anond.hatelabo.jp/20230219214719


記事内容はタイトルの通りなんだけど、ざっくり説明。
①ChatGPTに架空の女子大生設定を与える
②ChatGPTから貰う指示でオナニーする
③ごっつ気持ちええ
~ℋ𝒶𝓅𝓅𝓎 ℰ𝓃𝒹~


個人的に衝撃だったのが、「こいつ、楽しんでやがる・・・!」ってこと。


自分はなぜかChatgptに対して悲観的になって、勝手に落ち込んでいた。これは恐らく、自分のスキルに確固たる自信が持ててないことも多分にあるんだけど、元来の性格である「真面目に考えすぎる」ところか大きいと思う。


でも、自分がウンウン唸ってる横で、「乳首が気持ちいいです。声が出てしまいます」「焦らされて興奮しています」「あぁっ!出るっ!ちんぽから液でる!AIに指示されてイっちゃう変態ちんぽきもちいい!」なんて楽しんでる奴見たら、悩んでるのがアホらしくなってきた。


別にいいじゃん、楽しめば。


まさか自分がAIでオナニーしてる人に感銘を受けて、考え方がガラッと変わるとは思わなかった。でも、ありがとう、ChatGPTを使ってシコってくれて。


これからはChatGPtを敵じゃなくて、素敵なお友達として付き合っていけそうです。

トイレットペーパー戦争、終結

トイレットペーパー戦争。

それは「ねえ!トイレットペーパー替えてないんだけど💢💢!!」「毎回、私の方がトイレットペーパー替えてる💢💢!!」「ちょっとは自分でも替えてよ!!💢💢」と女性から言われて、「いや、紙が切れたら替えてる!!」というメンズからの反論で始まる不毛な争いである。

 

この手の話は、男女関係を巡るトラブルとしてたびたび話題になる。

私は、その話を聞くたびに「ハハッ。何をいがみ合っているんだい?気付いた人が替える。それだけで解決じゃないか」なんて、したり顔をしながら尻を拭いていたのだが、我が家においても勃発してしまった。やれやれだぜ…。

相手いわく、私が全然トイレットペーパーを替えていないように見えるらしく、「自分の方が多く替えてる」という主張を一向に崩そうとしない。その要塞は堅牢だ。

私は「日中家にいる時間が多いんだから当たり前だろ」「男女で使用するペーパーの長さが違うからじゃない?」「いいじゃんそのくらいやってよ」などと思ったが、その言葉はグッと飲み込んだ。こんな言葉を吐いたら「うるせぇ!!替えろ!(どんっ!)」と言われること請け負いだ。ルフィは船長としては頼りになるが、同居はしたくない。

大前提として、私はトイレットペーパーを替えている。普通に使用していて、途中で紙が切れたら、トイレットペーパーを出してきて空の芯と入れ替える。トイレットペーパー入れの下の段にも、新しいものを補充している。空の芯はゴミ箱に捨ててる。基本的なことはしているつもりだ。しかし、相手の話を聞いてみると、「アタシに替えさせようとしている」とまで話が飛躍しているようだった。毛頭、そんなつもりは無い。

ただ、相手のトイレ事情を聞いてみたらようやく理解できた。これは「トイレットペーパーの替え時」に関する問題なのだと。説明しよう。

 

まず、私の尻は汚い。汚いが、トイレットペーパーで拭く箇所は肛門のみである。大の時にしかトイレットペーパーを使わない。小の時に使うとしても、チン先に付いた水滴を拭う程度である。なので、物理的にトイレットペーパー使用量は少なめになる。

それに対してウィメンズ。彼女たちの尻は綺麗だ。綺麗だが、トイレットペーパーで拭く箇所は肛門に加えて股付近もある。つまり、女性は1回のトイレでトイレットペーパーの使用量が多いし、頻度も多いことになる。男性よりも女性の方が、「トイレットペーパーの替え時」に直面するタイミングがそもそも多いのだ。そりゃ、必要なタイミングに紙がないのだから、自分で替えるしか無くなる。よって、女性の方がトイレットペーパーを替える回数が多いのは真理だと思う。

 

さて、問題はここからだ。この戦争に終止符を打つには「トイレットペーパーを替える回数が、お互いに一緒になること」が条件になるが、それは無理だ。男からすると次回、次次回の便意でも「十分事足りる」と思っているトイレットペーパーの量でも、女性からすると「全然足りないんじゃボケェ」という事態になってしまう可能性がある。じゃあ、先を見越して余ってるトイレットペーパーを外しておけよと思うかもしれないが、面倒臭いから嫌だ。少しだけ余ったトイレットペーパーを床に置いておいて、それをメンズだけが尻を拭くのにちびちび使うのか?その仕打ちはあんまりじゃないか?私だって、トイレットペーパーをカラカラカラってしたい!

 

そこで、我が家で出されたケツ論が「トイレットペーパーを替える回数を減らしてみよう」というソリューションだ。そもそもトイレットペーパーを替える頻度を少なくすれば、「いつも自分ばかりが替えている」とムカつくことも減らせると思ったのだ。

購入したのは、「長さ3倍のトイレットペーパー」。こいつが我が家のジャンヌ・ダルクになった。

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通常のトイレットペーパーよりもロールの長さが3倍。ペーパーを取り替える頻度は、単純計算で3分の1だ。こいつを導入したところ、評判はすこぶる好評。トイレットペーパーを替える頻度は、まだ相手の方が多いにもかかわらず「あのトイレットペーパー is Good!!」と、トイレットペーパーをべた褒めするようになった。

かくして、我が家のトイレットペーパー戦争は終結。平和が訪れたのであった。

スコッティ、ありがとう。私たちのお尻だけでなく、関係性までもキレイキレイしてくれて。

次回、「夜中までテトリスをしていて怒られる」。それでは、また逢う日まで

舞台『ハリーポッター呪いの子』を鑑賞した

ハリーポッターと呪いの子の舞台を鑑賞してきました。場所は赤坂ACTシアター

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感想としては「マジで魔法みたいな舞台だった」ということに尽きる。鑑賞から数日経ってしまったが、思い出せる限りで振り返っていく。

ハリーポッターと呪いの子のネタバレありです

 

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まず思ったのは「向井理イケメンすぎ」。身長が高く、小顔、足が長く、スタイル抜群。声に迫力もあり引き込まれる。舞台での向井理は基本的にスーツ姿が多いのだけど、男の自分から見てもセクシーすぎる。セクシーの権化。向井理ならば南キャン山ちゃんのように「セクシーすぎてゴメンなさいねぇ〜!」と言われても許せる。魔法みたいなイケメンだった。来世は向井理になりたい。

 

次に驚かされたのが、舞台演出。リアルに魔法を見てるかのようだった。人を吸い込む本棚、杖から飛び出る炎、空中に浮く登場人物…etc。観劇中、「えっ?えっ、これどうなってんの??やば」という困惑と興奮があった。舞台転換もあんなに滑らかに動くのかと。普段、舞台は見ないので比較できないのだが、クオリティは相当高かったように思う。

 

今更ながら白状をしておくが、私はハリーポッターを「秘密の部屋」までしか見たことがない。今回の演劇を見に行ったのは、チケット争奪戦に勝った連れが誘ってくれたからである。「面白い公演があるんだけどどう?」と誘われて、内容を聞かずに快諾。その内容は当日にお知らせされるサプライズ方式だったのでハリーポッターを予習する時間がなかった。許せ。なので、話についていけるか心配だったが、それは問題なかった。物語が整理されながら進んでいくので、自分でも理解できた。しかし、第1作を見てないのと流石に話に付いていけないかもしれない。これから見る方は、第4作目「炎のゴブレット」までは最低限見ておくとよい。私は舞台が終わった後、そのままの足でTSUTAYAに向かい炎のゴブレットを借りた。見た。最高だった。

 

キャストがとても良かった。特に好きだったのが、ドラコ・マルフォイの息子である「スコーピウス」役を務めた斉藤莉生だ。ナヨっとした雰囲気でオタク気質。喋っていると突然高い声を出したり、大きな声になったりする。「ヴォルデモートの息子なのでは?」というあらぬ疑いをかけられて、周りから虐められている。そんなスコーピウスだが、友達想いで何をするにも一生懸命。彼がいてくれたおかげで今回の演劇は明るく観続けられたと思う。だって、アルバスがずっと暗いんだもん…。ハリーポッターの息子という色眼鏡で見られて、それを裏付けるような魔法の実力がなくて、それを周りに当たり散らして…。そんなアルバスの隣に立って、友だちで居続けたのがスコーピウス。危険な旅だと分かっていながらも、ビビりながら付いてきてくれる。そんなスコーピウスの葛藤を斉藤莉生が見事に表現していて、とても良かった。「舞台って、、いいな!」「生の演技って、すごいな!」と思わされた。聞けば今作がデビュー作だという。驚愕だ。

 

ロン・ウィーズリー役はエハラマサヒロだった。うん、まぁ、そうね、エハラマサヒロ。なんか、エハラマサヒロだった。そう、そんな感じ。言及するとしたら、劇中でハーマイオニーと「キスし過ぎでは?」って所だけかな。あとは、うん。エハラマサヒロだった。

 

黒幕は観劇中から何となく察しが付いてて、予想通りだった。それでも面白さが落ちることなく、ずっと走り続けられたのはキャストの演技力の賜物。舞台ハリーポッター、おすすめです。

最後にひとつだけ。演劇中に「○○って…コト!?」というセリフがあったと思うのだが、完全にちいかわのハチワレだった。そのセリフ以降、ハリーポッターの世界にハチワレが混ざってきてカオスな様相を呈していたことだけ伝えておきたい。